KUDZUMOTO YASUAKI 葛本康彰

“偶然的だが必然的なキャスティング / The casting that it is accidental, but is necessary”

“葛本康彰と大東真也(以下、葛本並びに大東)は、日常のありふれたものに目を向け、それに対して別な目線を生み出すことを制作活動のひとつの態度としており、そうした着眼に基づいた独自の手法によって彫刻作品を制作している。

独自の手法とは、端的に言えば葛本の場合は“発泡スチロールを溶かすこと”であり、大東の場合は“ガラス瓶を溶かすこと”である。それらの素材が溶けて形体が変化することには熱や重力、空気が関わっていることや、その素材を支持するために直方体フレームを使用していること、制作時の作品を取り巻く周囲の環境にまで強く意識を置いている点で共通項が認められる。
葛本はフレームの上に板状の発泡スチロールを置き、作品の中心にあたる部分から溶かすことで、自重によって垂れ下がった部分が自然と紡錘形を形づくる。その形は重力に引っ張られた形とも、空気に受け止められた形とも言える。また、変化の過程には気温が大きく関わっており、作家の身体も素材を変化させている要素と地続きで関わっているという意味では、作品は皮膚の異相であるとも言えるかも知れない。
大東はフレームの上面とガラス瓶の首を針金で結び付けた状態のものを丸ごと窯入れする。窯の温度調節は勿論のこと、目指すフォルムへの変化を見越してフレームのサイズや針金を結ぶ位置を決定する。ひとたび窯に入れてしまえば作家はじかに作品と関わることは出来ないが、素材に対する作家の身体性をフレームに託すような形で、遠隔的にガラス瓶の振る舞いを操っている。敢えて制作環境を舞台に見立てるならば、葛本は“自分も舞台に上がる脚本家”で大東は“舞台美術までこなす演出家”のようなものなのかも知れない。

今回「偶然的だが必然的なキャスティング」と題し、両者の制作の過程やその周辺で生まれる副産物的なものも要素に含め展示を試みる。



2019.1 「藝文京展EX ~つなぐ~」会場資料掲載文

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